交渉について考える

久しぶりにすこし真面目に考え事を書いてみましょう。:-D

交渉とはなんなのであろうか
gooの国語辞典を引用すると、

(1)ある事を実現するために、当事者と話し合うこと。かけあうこと。
(2)人と人との結びつき。かかわりあい。関係。

とある。また、ググルと

利害をめぐる対立を解消し、利益を実現させるための
「話し合いのプロセス」である。

ともある。ビジネス学問としても重視される交渉だが、私たちは果たして本当にそれが出来ているのだろうか。

利害の調整が交渉であるのであるのなら、それはまず双方が一定の原理原則と基本的な条件や要件を持って初めて成立すると考える。
つまりギブアンドテイク(譲歩と獲得)をするにはまず何を譲歩してよくて、何を獲得しなければならないのかという、判断基準が必要なのである。しかし、私たちの周りで原理原則が明確となっている場合はそう多くはないのではないだろうか。そして交渉の席に立たされてはいるが、その権限を持っていない場合も多いのではないだろうか。

根本的な目的とは何かを意識せずに、複雑に交差する事象を上手く収めるための交渉を行っていはいないか?
目的と手段を取り違えるなと師匠に怒られた事が有った。
それ以来目的意識を持つ事に関して意識づけをするようになってはいるが、順位づけのない目的が複数有る場合、目的が不明確である場合が多いと感じる。
交渉がだめなら、紛争か回避しかない。できるものならどちらも選択したくはないものである。

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