尼崎・列車脱線事故に思うこと

尼崎・列車脱線事故(asahi.com)はもうすぐ百人目の犠牲者を数えようとしている。

線路の置き石や運転手の速度の出し過ぎが盛んに取りざたされる中で、この事故の原因はどこにあるのだろうか?
報道から、JRは運転手にダイヤの厳守を押しつけ、営利中心の考え方でもって経営を進めていたように聞こえる。
事故以前にも、線路のメンテナンス記録の改ざんなど従業員のモラルの低下が指摘される不祥事があったという。

しかし、何の理由も無く従業員のモラルが低下するのだろうか?
「経営がうまくいっているサービス企業は、経営者と従業員の関係が、従業員と顧客の関係に影響すると考えている」とフィリップ・コトラーも著書のなかで述べている。
モラルの低下は原因ではなく結果であって、その結果が連鎖して今回の事故が発生したと考えられないか。
では、何がモラルを低下させたのだろうか?

それは、会社という単位で何らかの破綻が発生しているのではないかと容易の予想できる。
赤字路線を多数抱え、「儲かっていない会社」であるがゆえにコスト削減に注力せざるを得ない現状があると想像するれば、行き過ぎたコスト削減が従業員のモラルを低下させ、必要な措置をとれない仕組みを作ってしまったのも一因であると考えられないか。
つまり、重要であるのもかかわらず、結果が表に現れにくい社員教育安全管理に必要なコストを投下できなかったのではないだろうか。
経営者も馬鹿ではないのだから、コスト削減する際に、必要なコストは削減せず、削減してよいコストを削減すると考えていたはずだ。
だが、実際は膨大な業務や情報に埋もれ、的確なコスト削減が出来なかったということではないだろうか。

経営責任という名の下、経営者が全責任を負う必要が有ると報道されるが、それ以上にどのような評価基準があって、どのようなツールが使えるのかを再研究し、このような事故が再発しないよう経営の考え方から改革する必要があると思う。
たとえば、コスト削減の対象を決定するために、よく用いられる考え方やツール(SAPや意思決定支援システムなど)を利用する事が考えられないだろうか。

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